第04話 雨と桂花の香り


 大陸を西から東へ移動すると、季節を逆走するような奇妙な感覚にとらわれる。
 同じ秋と言っても、キリスヤーナとカデュラスでは風も日射しもまるで違う。カデュラスの風は少しひんやりとする程度で、日射しはまだ夏の名残をとどめている。これが秋だとすれば、夏はどれほどの灼熱なのだろうか。

 国をって二十六日。
 キリスヤーナ国王一行が、カデュラスの王都カナヤに到着した。ちょうど昼時だった。ラシュリルは、馬車をおりてぐるりと景色を見回した。さすが、大陸を統べるカデュラス国王のお膝元。旅路で見てきた都市とは、比べものにならないほど栄えている。

「口が開いているよ、王女様」

 ハウエルにからかわれて、ラシュリルは慌てて口をきゅっと閉じた。夢のよう。本当にカデュラスに来た。わくわくして、鼓動が高鳴る。ここがお母さまの生まれ育った故郷。そして、お父様と恋に落ちた――。

 カナヤには、まつりごとの要であるダガラ城がそびえている。城は広大な敷地を持ち、神と民をへだてるかのように高い塀で囲まれていた。
 ダガラ城の朱門しゅもんから、まっすぐに伸びた大通り。それを中心に、カナヤの街並みは整然と区画されていた。城のすぐ外は、身分の高い貴人たちの意匠をこらした屋敷が軒を連ねる城下町。そして、城下町をくだると市場や繁華街、花街などが順に続く。

 宿は、城下町の裏通り沿いにあった。
 ラシュリルは、ハウエルたちと大通りの店で昼食を済ませたあと、ナヤタと散歩へ出かけることにした。通りには、たくさんの人がひしめいている。老若男女、服装も風貌も、みんな様々だ。カナヤは大陸一の商業都市でもある。大陸中から人や物が集まってくる。特にこの数日は、新王の即位式間近とあって、いつもよりにぎわっていた。

 淡い黄色の小袖を着た下げ髪の少女が、荷を抱えて小走りに前を通りすぎる。ラシュリルの目が、無意識にその少女を追う。黒い髪と瞳。生粋のカデュラス人だ。わたしも、あの服を着たらカデュラスの人に見えるかしら。小袖姿の自分を想像してみるけれど、あまりぴんとこない。

「ラシュリルさま、外套を」
「ありがとう、ナヤタ」
「どちらへ参りましょうか」
「そうね……。カナヤの森を見てみたいわ」
「カナヤの森、ですか?」
「ほら、さっき店の人が話していたじゃないの」

 樹齢百年とも二百年とも言われる木々が生いしげる森。その奥には、浄土の蓮池のように美しい湖があるそうだ。浄土の蓮池は知らないけど、好奇心がくすぐられる。

「でも、ラシュリルさま。……恐ろしい魔物が出ると言っていましたよ。だから、誰も近付かないって」
「魔物だなんて迷信か作り話に決まっているわ。それより見て、ナヤタ。空がとてもきれい」
「本当ですね」
「ねえ、新王さまはどんな御姿をなさっているのかしら」
「とても美しいお方だと、噂ではお聞きしましたけれど」
「女性と見違えるようなお顔立ちで、病弱でいらっしゃるんだったわね。凛々しい方だと嬉しいわ」
「そのような方がお好みなのですか?」
「ち、違うわよ。大陸を統治なさる方がひ弱では、心もとないじゃない」

 ふたりは、はぐれないように手をつないで往来の激しい大通りを歩いた。話に夢中になっているうちに、にぎわう繁華街を抜ける。道がわからなくなるたびに、店に立ち寄って道を尋ねた。気付けば、王都のはずれまで来ていた。そして、細い道へ曲がって人通りのない通りへ出ると、目の前に森があらわれた。

 ***

「今日のみそぎを終えましたら、五日後は即位式でございますね」
「そうだな」
「昨日、宰相様に聞いた話では、キリスヤーナ国王が到着なされたらすべての国賓が揃うそうです。宴には間に合うとのことでしたので、もうお着きになられたかもしれませんね」
「キリスヤーナは遠いからな。明日の宴で、ねぎらってやらねば」
「カナヤも大変にぎわっているそうですよ」
「万事滞りなく、泰平でよきことだ」
「あとは、アユル様がお妃様をお迎えになられたら、宰相様も心から安心なさるでしょうね」
「コルダ、その話はやめろ。胸糞が悪くなる」
「御意に」

 アユルのえりを整えながら、コルダが肩を揺らして笑う。アユルは眉間にしわを寄せて、コルダをにらみつけた。

「お前が女であればよかったのだ」

 コルダの手がぴくりと跳ねて止まる。男がふたり、微動だにせず真顔で見つめ合う。交わる視線にこめられた互いへの深い慈愛と信頼。腹を探らずとも、ふたりは魂でつながっている。もちろん、恋情ではなく信頼という形での話だ。

「……あの。アユル様のすべてにお応えするのがわたくしの務めと存じております。されど、わたくしは男色ではございません」
「……何を言っている。私もだ、馬鹿者」
 
 アユルの指が、コルダのひたいを弾く。

「ったぁ! アユル様、何を!」
「もう昼を過ぎた。早くカナヤの森に行かなくては。ばば様がしびれを切らしているぞ」

 アユルとコルダは王宮の裏門を出て、カナヤの森まで続くけもの道を一直線に馬で駆けた。視界を流れる景色のあちらこちらに、紅色に染まった葉が混じっている。景色が林から森へ変わったあたりで、ふたりは馬を止めた。
 コルダが馬をおりて辺りを探る。生いしげる草に隠れて見えないが、一足違えれば、沢へ真っ逆さまに滑落しそうな斜面だ。爪先で慎重に地面を確かめながら進む。

「アユル様! あちらにお屋代が見えます」

 コルダの指す方向に、古い木造の建物が見えた。アユルも馬をおりて、徒歩で屋代へ向かう。

「足元にお気をつけください」
「やれやれ、即位するのも一苦労だな」

 鳥居をくぐると、屋代の中から背の小さな白髪の老婆が姿をあらわした。
 屋代には、カデュラ家の祖である初代王がまつられている。王家にとって神聖な場所で、王位を継ぐ者は即位前にここで禊をするのが習わしだ。
 老婆が、曲がった腰を伸ばして嬉しそうにほほえむ。まるで、久しぶりに会う孫を見るような眼差しだ。

「ようこそ、王子さま。すべきことはおわかりでございましょうか?」
「湖の水で王都を清めればよいのであろう」
「そうでございます。できますでしょうか?」
「造作もない。私は父上とは……、歴代の王たちとは違うからな」

 ふたりのやりとりを聞きながら、コルダは急いで二頭を馬立てにつないだ。どうやら、禊は湖で行われるらしい。

「お待ちください、アユル様。わたくしも参ります」
「コルダは、ばば様とここで待て。湖へは私ひとりで行く」
「いえ、アユル様に何かあれば一大事ですので」
「このような俗世からかけ離れた山中で、何が起きるというのだ。たとえ起きたとしても、助けなど必要ない」
「必要ないなど……。丸腰ではございませんか!」
「これ、コルダ殿」

 コルダを老婆がそっとなだめる。心配の度がすぎて、思わず語気が強くなってしまった。コルダは姿勢を正して頭をさげた。

「……わかりました。わたくしはこちらで控えております」
「心配するな。雨が止めば戻る」
「雨でございますか? よい天気ですのに?」
「そう、雨だ。では、行ってくる」

 ラシュリルとナヤタは荒れた小道をたどって森に入りこんでいた。
 日光が光線の柱のようにそそいで、森の奥とは思えないほど明るい。足元を見れば、色とりどりの小さな花がたくさん咲いている。

「何て清々しいのかしら」

 森の息吹を胸一杯に吸いこむ。
 少し離れた所で、ナヤタが小鳥を追いかけている。猫がするように、足音をしのばせて跳びはねて。その動きがおかしくて、ラシュリルは声を出して笑った。そのとき、視界のすみにきらりと反射する光が入った。

「何かしら」

 誘われるように、光の方へ向かう。肩の高さまである草をかきわけて、奥へ、さらに奥へ……。小鳥を見失ったナヤタがもとの場所に戻ったとき、ラシュリルは忽然こつぜんと姿を消していた。

 アユルは、森をぬけて湖にたどり着いた。
 禊とは滝行の類ではない。清らかな湖の水で雨を作り、王都をみそぐのだ。大陸を平定した初代王は、人外の力を持っていたという。神の力と史書に記されているそれは、触れるだけで命を奪い、天候まで意のままに操れたそうだ。永いときがたち、初代王の血は薄まって、十八代目の王を最後に神の力はこの世から消えた。実に数百年ぶりだった。カデュラ家に神の力を宿した王子が生まれたのは。喜んだマハールは、王子に初代王と同じ名を授けた。

 アユルは、足首まで湖に入って目を閉じる。森は今、静寂の中にあった。そよ風にたゆたう木葉の音に空を飛ぶ鳥の羽音までもが聴覚にふれる。

 ――さて、さっさと済ませるか。

 アユルの足もとで、湖面が波立つ。広がる波紋が干渉し合って、水面みなもが揺れはじめた。波は勢いを増し、荒れる海のように激しく跳ねあがる。アユルが二歩進むと、霧雨が宙に散った。霧雨はすぐに糸をつむいで小雨になり、空を灰色の雲が覆った。そして、太陽が完全に雲に隠れると、雷鳴をともなった篠突く雨が地上を打ちつけた。
 ダガラ城の高い塀も、街も、街路も、建物も、人も、すべてが激しい雨に打たれる。カナヤの大通りでは、往来にひしめく人々が悲鳴をあげながら店先に逃げこんだ。

 雷のとどろきと、剣のように湖面に突き刺さる猛々しい雨の音。
 攻撃的な雨に、アユルは呆れて苦笑する。まるで、心の底に押し殺した自分の本質をあらわしたようだった。できることなら、やさしく温かな雨を降らせたい。ほほをつたう涙のしずくのように温かな――。

「何てひどい雨なの。あんなによく晴れていたのに」
 
 すっかり道に迷ってしまった。
 ラシュリルは、顔を手でぬぐって必死に辺りを見回す。冷たい雨は外套にしみて、ワンピースまでぐっしょりと濡らしていた。途方にくれて顔をあげると、視線の先に湖が見えた。

「あれ……。もしかして、あれが例の湖かしら」

 小走りに湖へ向かう。湖に近付くと人の姿があった。背が高い。男の人かしら……。
 ためらっている暇はない。早く戻らないと、ナヤタが心配して探しているはずだ。意を決して、おそるおそる湖畔から声をかける。

「あの、すみません」

 ふり向いた男を見て、ラシュリルは息をのんだ。男の瞳が真っ赤に光っている。この森には、本当に魔物が棲んでいるというの?

 ――こ、怖い。

 アユルは静かに、ゆっくりと女人に近付いた。驚いているのか、腕を伸ばせば届く距離まで迫っても微動だにしない。黒い髪と瞳。容姿はカデュラス人のようだが、ひらひらとした見なれない服を着ている。

「何者だ」
「わ、わたしは、あの、わた……」
「いつからそこにいた」

 矢継ぎ早に問う低い声には、明らかな威圧がこめられている。冷たい雨のせいか、恐怖のせいか、唇が震えて上手く声が出せない。ラシュリルは、何とか声をしぼり出そうと喉元を手でおさえる。

「あ、ああの……」
「もうよい。私に会ったことを、絶対に他言しないと約束しろ」
「……は、はい」

 ラシュリルは必死に首を縦にふって、一目散に森へ逃げこんだ。男が追いかけて来る気配はない。でも、脇目もふらずに必死で走った。
 小枝に頬を引っかかれて血がにじみ、雨でぬかるんだ地面に足を取られる。どこをどう走ったのか、わからない。無我夢中だった。そして、ナヤタを見つけたラシュリルは、勢いよくその胸に飛びこんだ。

「ナヤタ!」
「ああ、ラシュリルさまっ! 心配したのですよ。どこへ行っておられたのです。……こんなに震えて!」
「ごめんなさい、ナヤタ。何でもないの。雨が……、雨に濡れて体が冷えてしまっただけよ」

 目から涙があふれる。とても怖かった。男の射抜くような赤い目が、淡々とした低い声がとても恐ろしかった。

「このままでは風邪をひいてしまいます。急いで戻りましょう」
「ええ、そうね」

 雨が、勢いを失っていく。雨雲が割れて、太陽が顔を出した。
 アユルは、かがんで地面に手を伸ばした。さっきまで女人が立っていた場所に、何かが落ちている。見ると、深い緑色の鉱石に数輪の小さな花が刻まれた玉牌だった。赤い飾り紐から、甘い桂花の香りがする。そうか、とアユルは玉牌をまじまじと見る。彫られた花も桂花だ。

 ダガラ城への入城を許されるカデュラスの貴人たちは、身分証として玉牌を身につけている。もしかすると、あの女人は高位の家の娘かもしれない。
 アユルは屋代に戻って身なりを整えると、すぐにコルダを連れて王宮へ戻った。道すがら、アユルは湖で会った女人のことばかり考えていた。

「コルダ。お前は城下の事情に詳しいか?」
「詳しくはありませんが、一応の見聞はございます」
「では聞くが、良家の子女の間では異国の服をまとうのが流行っているのか?」
「……さぁ、そのような話は聞いたことがございません。何かございましたか?」
「いや、何でもない」