第05話 正体


「すぐにお風呂の準備をしてまいりますね」

 道に迷いながら、何とか宿にたどり着いた。ラシュリルが脱いだ外套を受け取って、ナヤタは急いで部屋を出て行った。
 びっしょりと濡れたワンピースが、肌に張りついて冷たい。ラシュリルは、腰の帯革ベルトに手をかけた。

「……あれ?」

 指で帯革を探って目視する。無い。ここに結んでいた玉牌が、無い。

「……どこで。どこで落としたのかしら」

 玉牌は、ラシュリルがカリノス宮殿に引きとられた日に、そばにいてあげられない私の代わりだと母親から渡された大切なものだ。
 お父さまと出会う前にね、さる高貴な方からいただいた品なのよ。笑って話す母親の顔を思い出して、ラシュリルは胸元をぎゅっと握りしめた。

 ――どうしよう。お母さまの宝物なのに……。

 昼食のときには確かにあった。それから散歩に出かけて、森に……。
 記憶をたどるうちに、心臓が早鐘をうち始めた。よみがえる男の姿。赤い瞳が、記憶の中から迫ってくる。

「ラシュリルさま。お風呂の準備ができましたよ」

 ナヤタが、新しい服を持って戻ってきた。ラシュリルは、ナヤタに「ありがとう」とほほえんで浴室へ向かった。

 ***

 アユルは、皇極殿こうぎょくでん高座たかくらにあぐらをかいて脇息にもたれかかった。王宮に戻ってすぐ、宰相さいしょうから呼び出されたのだ。

「急ぎの用とは何だ」
「……はい」

 ラディエ・ノウス・カダラルが、ちらりとアユルの顔色をうかがう。
 彼は、四十路なかばの愚直で生真面目な男だ。先王の信頼を得て、十年ほど前に宰相の位に就いた。
 ラディエは、アユルの前に漆塗うるしぬりの四角い盆をそっと置いた。それには、花が描かれた四枚の竹札がきれいに並んでいた。

「これは?」
「四家の姫君のしるしでございます。今ここで、王妃となられる方をお選びいただきたく」
「何だと?」

 初代王が大陸を征服したとき、彼には四人の忠臣がいた。初代王は彼らの功績をたたえて、四人にそれぞれイエサム、ティムル、アフラム、カダラルの姓と王家につぐ身分を与えた。彼らの家系は四家と呼ばれ、王家同様、直系の男子に襲位されて現在にいたる。
 カデュラスでは、一にも二にも身分が重んじられる。先王マハールの王妃だったアユルの母は、ティムル家の姫だった。

「王統こそが国の根幹。カデュラ家の尊き血筋が途絶えれば、国が揺らぎます。その年になられるまで独り身を貫いた挙句、王宮の女官を追い出すなど正気の沙汰ではございません。みなが王統の存続を危ぶんでおります。一刻も早く正妃をお迎えください」

 アユルは眉間にしわを寄せて、目の前に並んだ竹札をまじまじと見た。
 四家に姫が生まれると、花をしるしとして与える習慣がある。竹札にはそれぞれ、藤、しだれ桜、蓮、桂花が描かれていた。目が順に札を追って、桂花の札で止まる。まさか……。

「そう、だな。そなたの言うとおりだ」

 つぶやくようにアユルが言う。
 ラディエは、一瞬、アユルの言葉を理解できなかった。十年も渋ってきた王子が、すんなりと受け入れるとは思っていなかったからだ。しかし、確かに「そうだな」と言った。ラディエの顔に喜色満面の笑みが浮かぶ。

「早速、明日にでも姫君たちとお引き合わせいたしましょう」
「宰相……、待て。その、今のは」
「よろしいのです。ここで決めていただく所存でございましたが、姫たちにお会いになってお決めください。王子がその気になられただけで、私の憂いは晴れましてございます」

 深く一礼して、ラディエが弾むような足取りで皇極殿を出て行く。アユルは、懐から玉牌を取り出して桂花の彫刻を指でなぞった。

 ――今ごろ、玉牌これを探しているかもしれないな。

 皇極殿は、長い歴史の間に三度建てかえられた記録がある。最後の建てかえが行われたのは、タリユス王の御代だ。
 真っ白な大理石を台座にして、頭に高級な煉瓦を何千枚ものせた重厚な佇まい。そして、中に入れば目を細めたくなるようなまばゆさに圧倒される。格天井やはめこまれた天井画。障壁画と襖、欄干彫刻。すべてに金や漆が贅沢に使われているのだ。建築から百五十年をへた今も、カデュラスの権威を示す輝きには一点の曇りもない。

 翌朝、アユルは書斎で書物を読みながら時を待った。
 気はそぞろで、書物の文字はまったく頭に入って来ない。なぜなら、先ほどから目は書物ではなく机上の玉牌に向いているからだ。上の空で書物を三頁めくったとき、コルダが入って来た。素早く書物を閉じて、投げるように机に置く。

「アユル様。宰相様と姫様方がお待ちでございます」

 王宮から皇極殿へつながる廊下から見える庭には、濃い紫や薄い桃色の花が空を見上げて咲き誇っている。木々の手入れをしていた数名の女官がアユルに気付いて、白髪の頭を深く頭を下げた。

「コルダ。下働きは残しておくべきであったか?」
「庭の手入れなどは、若い者の仕事でございます。アユル様が若者を全て追い出してしまわれて……。あのようなことまでなさっておられるお姉様方のご苦労を察すると、心が痛みます」
「そう言うな。私が王妃を迎えれば女官が戻る」

 皇極殿に入ると、きれいな身なりの姫が四人、横一列に座してひれ伏していた。この中に、湖の女人がいるかも知れないと思うと、自然と口元がゆるんでしまう。

「面をあげろ」

 顔をあげた四人は、それぞれが美しい面立ちをしていた。所作からも育ちのよさをうかがわせる気品が漂っている。流石は四家の姫だ。だが、あの女人の姿がない。そのことが、一気に興を削いでしまった。口元が引きしまって、いつもの冷たく硬い表情がアユルの顔をおおう。

「王子、これから私が姫君をご紹介いたします」

 ラディエが、こちらがとひとりの姫を手でさす。アユルはそれを「よい」と制した。誰がどの家の女人でも関係ない。結局は、高貴な血をつなぐための道具にすぎないのだ。女人も、我が身も。

「桂花の姫」

 アユルが呼ぶと、左端の姫が「はい」と小さく返事をした。面差しや雰囲気が、どこかあの女人と似ているような気がする。

「そなたに」

 それだけ言って、アユルは皇極殿を出た。
 なぜ桂花の竹札を見て、あの女人を思ったのか。なぜ、姿がなかったことに落胆したのか。自分の心が、まるで他人のもののように理解できない。

 ――何だ、この気持ちは。

 昼をすぎて、城中が慌ただしくなった。新王の即位に先立って、今夜、祝いの宴が開かれるのだ。
 城に明かりがともり始めたころ、国賓たちが続々と皇極殿に集まって来た。
 城の朱門しゅもんをくぐって一刻。カデュラスの衣装を着て歩くのは大変だった。城の中は、神が住む聖域。馬や輿に乗れるのはカデュラス国王だけらしい。
 薄い桃色の単に赤の切袴。その上にうちぎという衣を五枚と、さらに小袿こうちぎという表着を重ねている。初めてまとったカデュラスの衣装は、美しくて華やかで、とても重い。

「大丈夫かい? 今日はナヤタがいないから、僕が王女様を支えてあげるよ」

 ハウエルが、ラシュリルに手をさし伸べた。いつもなら、ナヤタがあれこれ世話を焼いてくれる。けれど、皇極殿に入れるのは招待を受けた人だけ。ナヤタは、別の建物で控えている。

「あ、ありがとう、お兄さま。ダガラのお城って、とっても広いのね」
「そうだね。歩き慣れていない女性には酷かもしれないね」
「わたし、体力には自信があったのに……」
「その衣装、そんなに重たいの?」
「ええ……。ドレスの方がよかったわ」
「なるほど。お転婆な王女様向けの衣装ってわけだ。これなら、裾をたくしあげて走り回ったりできないね」
「意地悪を言わないで」
「冗談だよ。とてもよく似合ってる」

 さぁ行こうか、とハウエルがラシュリルの手を引く。皇極殿に一歩入って、ラシュリルは金の輝きに思わずため息をついた。

「また口が開いてるよ、王女様」
「だって……。あまりにも美しくて、夢を見ているみたい……」

 席に着くと、高足の膳に芸術品のような彩りの料理が並んでいた。あちこちから、さすがはカデュラスだと賞賛の声が聞こえる。
 突然、低い太鼓の音が三度響いて、ざわめいていた皇極殿が一気に静まり返った。しばらくして、襖がそっと開いた。

「アユル・タニティーア・カデュラ様の御成りにございます」

 皆が姿勢を正して、一斉に深く頭をさげる。
 先王は、王子を王宮の外に出すことがなかった。カデュラスの高官を除いて、ここに集う者の多くが初めて新王の姿を目する。衣擦れの音がして、面をあげよと落ち着いた声が命じた。顔をあげて、誰もが息をのむ。新王は、たっぷりと肉をつけた獣の雄のような先王とは似ても似つかない清廉な風貌をしていた。

 ラシュリルは硬直した。
 姿も声も、ここまで似ている人がこの世にふたりと存在するかしら……。胸がどくんどくんと早い鼓動をきざむ。
 まず、五つの国の君主が、順に新王に拝謁することになっている。
 僕たちは二番目だよ、とハウエルが小声で言う。心を落ち着かせる間もなく、すぐに順番が回ってきた。ラシュリルは、ハウエルと高座の前で一礼して顔を隠すようにうつむいた。

「初めてお目にかかります。キリスヤーナ国王ハウエル・ナダエ・キリスです。こちらは妹、ラシュリル・リュゼ・キリスと申します」
「西端の国から、遠路はるばる大義であったな」

 アユルはハウエルに杯を手渡すと、酒をそそいで共に一献かたむけた。それから、ハウエルの隣でうつむいている王女にも杯をさし出した。白磁の杯を受け取った王女の手が、小さく震えている。

「あ、ありがとうございます」

 ラシュリルは、小さく礼を言って酒を口に流しこむ。酒の味など、まったくわからない。ただ、酒の通ったあとが、焼かれたように熱かった。
 結局、新王に声をかけられることはなかった。席に戻って、ラシュリルはほっと胸をなでおろした。

 ――ラシュリル・リュゼ・キリス。

 アユルは、王女が口をつけた杯を見てにんまりとした。
 すべての国の君主と盃を交わし、キリスヤーナ国王の席に目を向ける。王女は、キリスヤーナ国王や他国の王族たちと談笑している。身振り手振り、笑顔を輝かせてとても楽しそうだ。つられて、こちらの顔もゆるんでしまいそうになる。
 そうしていると、高座の前に貴族の姫が集まって来た。きらびやかな衣に、仮面のような化粧を施した顔。媚びたように笑う姫たちが手酌する。アユルは、彼女たちに迎合するようにほほえんで、すすめられるままに酒を呑んだ。その様子を、大臣エフタルの横で桂花の姫が見ていた。

「何をしておる。早くお前も王子の御前に行かぬか」
「申し訳ございません、父上。気後れしてしまって」
「ふん、情けない。王妃となる者がそのように気弱でどうする。よいか、お前の役目は世継ぎを産むことぞ。他にそれをさせてはならぬ」
「はい。心得ております、父上」

 娘が王妃に選ばれて、エフタルは天にものぼる心地だ。やがて娘が王子を産めば、すべては思い通りだ。
 サリタカル王国が連れてきた劇団が喜劇を披露し、皇極殿は笑いの渦に巻きこまれた。

「お兄さま。少し雰囲気に酔ってしまったみたい。外で涼んで来てもいいかしら」
「うん。あまりうろうろしちゃだめだよ」

 はい、と言ってラシュリルが皇極殿を出る。それを見ていたアユルは、女人たちをさげてコルダに手招きした。コルダがすっとアユルのそばに行く。アユルは、広げた扇で口元を隠して声をひそめた。

「席をはずす。清殿に人が近付かないように見張っていろ」
「かしこまりました」

 コルダがうなずくと、アユルは席を立って足早に皇極殿を出た。タナン公国の舞姫による華やかな舞が始まって、誰もがそちらに夢中になっていた。
 ラシュリルは小袿の裾を持ち上げて、月明かりを頼りに庭をゆっくりと歩いた。ひんやりとした空気が、上気した顔に触れてとても気持ちいい。
 ふと見ると、白い花が品良く頭をもたげている。花の香りに誘われるように、ラシュリルは指先を花弁に伸ばした。

 アユルは、人目につかない通路を移動しながら王女を探した。ほどなくして、庭に姿を見つけて立ち止る。湖で会ったときとは雰囲気がだいぶ違う。装いのせいだろうか。そっと王女との距離を詰める。

「何てきれいな花なのかしら。いい香り……」

 ラシュリルが花びらをなでていると、突然、暗がりから伸びてきた頑丈な手に手首をつかまれた。驚いた拍子に、きゃっと小さな叫び声をあげる。

「まさか、キリスヤーナの王妹だったとはな」

 ラシュリルは声の主を見上げた。月を背にしていて顔はよく見えないけれど、聞き違えるはずがない。この声はまぎれもなく、高座にいた新王のものだ。

「見せたい物がある。私と一緒に来い」
「……っ、まっ、待ってください」