第15話 画策


 カナヤの城下、その一等地にエフタルの屋敷が堂々と門を構えている。アフラム家の祖が、初代王より姓と永世の身分をたまわってから千数百年のときが流れた。通りに面した高楼の門は、建て直されるたびに絢爛けんらんになり、今ではダガラ城の朱門しゅもんをしのぐ美しさだと言われるほどだ。

 エフタルは、朝議が終わると急いで屋敷に戻った。
 甘露の降る日を待ちわびて、じっと息をひそめ耐えてきた。王子の即位が間近になり、未婚の王などありえるかと頭を抱えるラディエに、早急に王妃を決めるべきだと助言した。無論、タナシアが王妃になるよう二重、三重の根回しもしていた。

 目論もくろみどおりに王家とつながった。しかし、タナシアの様子では、仲睦まじいとはまことしやかな噂に過ぎないようだ。さすがはシャロアの息子よ、とエフタルは鼻を鳴らす。風貌だけではなく、中身も母親にそっくりだ。マハールに似ていたならば、もう少し手柔らかにしてやるのだが。

 ――ひとつも可愛げのない男だ。

 庭の池で、錦鯉みなもが水面を波立たせながら優雅に泳いでいる。エフタルは、離れに下級の武官を呼びつけた。しずしずとあらわれた武官が、縁側で床にひたいがつくほど深くひれ伏す。

「大臣様、手配いたしました。うまくいけば、キリスヤーナが罪をかぶってくれましょう」
「殺してはならぬぞ。世継ぎがまだゆえな」
「心得ております。少しばかり苦しみを味わえば、陛下も身の程をわきまえられるかと」

 王とは、ちょこんと頭に乗った金の飾りに過ぎない。余計なことに口出しせず、血をつないで我々の言うとおりに大人しく座っておればよいのだ。そのことを指南してやろう。今は命までは奪わぬ。だが、娘が王子を産めば現王に用はない。
 庭に向けた目を細めて、エフタルはにたりと口角を上げた。

 ***

 廃墟郡のようなヘラートを蛇行する運河を渡って、一行の馬車が海に到着した。
 ハウエルが、巧みな話術で海についての薀蓄うんちくをかたむける。それを聞きながら、アユルはラディエと並んでゆっくりと歩いた。

 先王の唯一の功績といえは、ラディエという実直な男を宰相の職に就けたことだ。だからこそ、この牙城を崩さなければならない。ラディエはカデュラスの血に誇りを持ち、カデュラスに魂を捧げている。王統に異民族の血が混ざることを、決して許さないだろう。

 アユルは、ハウエルの話が途切れた隙に浜辺から浜堤ひんていの方へ向かった。波打ち際から離れたそこから、白銀の海が一望できる。書物で読んだ波のうねりや潮騒しおさいのない凍った海。初めて目にした海は、華栄殿に渡る廊下に立って想像したものとはまったく違っていた。引きずりこむような怖さも、仄暗ほのぐらさもない。

「宰相。ハウエルのもとに行って、王女を呼んでこい」
「キリスヤーナ国王ではなく、王女殿をでございますか?」
「銅の交易のことで、少し探りを入れたい」
「なるほど。しかし、王女殿が情報を持っているでしょうか」
「さてな。だが、兄妹の仲がよい。ハウエルが妹に何か言っているかもしれない」
「安易に許可なされたこと心配しておりましたが、考えがあってのことでしたか」
「当たり前だ。余は父上のように暗愚ではない」
「それを聞いて安堵いたしました。すぐに王女殿を呼んでまいります」

 ラディエが、小走りでハウエルたちを追う。雪が積もった浜辺を、ハウエルとマリージェ、ラシュリルが並んで歩いている。
 アユルの目が、ハウエルとラシュリルをじっくりと見比べる。初めてラシュリルと会ったとき、カデュラスの者だと思いこんだ。風貌がそうだったからだ。同じ民族でも個人差があるのかもしれない。しかし、同じ親から生まれた兄妹でこうも違うものだろうか。

「コルダ、近くに寄れ」
「はい」

 少し先に進んでいたコルダを呼んで、アユルが声を小さくする。コルダはアユルの視線の先に、楽しそうに笑うラシュリルの姿を見つけて顔をゆるめた。

「キリスヤーナに滞在している間に、ラシュリルの身をあらためて報告しろ」
「何をおおせになられます。王女様の身を探るなど」
「ラシュリルが何者だろうが、そのようなことはどうでもよい。だが、これから先は小さなほころびがラシュリルの身を危うくする。私はすべてを正確に知り、守る術を考えなくては」
「それはもしや……。王女様を王宮にお迎えになられるのですか?」
「そうだ。よいか、機が熟すまで誰にも気付かれるな。うまくやれ」
「お任せください」
「今、宰相がラシュリルを呼びに行っている。ラシュリルが来たら、宰相を連れて離れろ」
「はい?」
「お前たちがいては、話ができないだろう」
「宰相様がお許しにならないのでは?」
「何とかしろ」
「アユル様、近ごろ……」
「何だ」
「いいえ、何でもございません」

 言葉どおり、ラディエはすぐにラシュリルを連れてきた。陛下を待たせるなとでも言って急がせたのだろう。ラシュリルの息が弾んでいる。
 アユルはコルダに目で合図した。早くラディエを連れて行け。は、はい、すぐに。視線だけでそんなやり取りができるのも、幼少のころから培った信頼の賜物だ。
 コルダが、なかば強引に衣を引っ張ってラディエをアユルから引き離す。そのまま、ふたりは浜堤を上がって針葉樹の林の方へ行ってしまった。

「あの、アユルさま。わたしに聞きたいことがあるとうかがいましたけど」
「ああ」
「わたし、まつりごとのことはまったく。銅の交易についてお兄さまからは何も聞いてないのです」
「宰相が言ったのか?」
「はい。陛下に尋ねられたら、包み隠さずに話すようにと」
「本当に真面目な男だな」
「えっ?」
「私がそのようなつまらない話をするためにそなたを呼ぶわけがない」

 ラシュリルは、アユルの言葉の意味を理解してふふっと笑った。隣で、アユルが涼しい顔をして浜辺にいるハウエルとマリージェを見ている。

「そなたの兄夫婦は仲睦まじいのだな」
「ええ。お兄さまはお義姉ねえさまのことが大好きなの!」

 ラシュリルが、口元に手を当てて愛らしく笑う。アユルの顔が、それにつられるようにゆるんだ。

「では、ハウエルが望んで妃にしたのか?」
「はい。お兄さまの熱狂ぶりったら、とても凄くて。あんなふうに情熱的に言い寄られたら、女性はみんな嬉しいに決まってい……」

 そこまで言って、ラシュリルはしまったと口をつぐんだ。
 そうしてほしいと強請ねだっているように聞こえたかもしれない。アユルはハウエルとは真逆だ。人前では目を見つめてやさしくほほえみかけないだろうし、手をにぎるだなんてとんでもない話だろう。

「ああいうのが好みなのか?」
「いえ、そうではなくて」
「私には無理だ。あのような男女の作法は身につけていないのでな」
「ち、違います。わたしは、アユルさまにお兄さまみたいなことをしてほしいとは思っていません。そのままのアユルさまが好きです!」

 ラシュリルが弁解する。語気の強さから、必死なのが伝わって来る。
 耳の下からかっと顔が熱くなって、アユルは困惑した。咎めたわけではなく、事実を言っただけだ。それなのに、ラシュリルはわかっているのだろうか。今の言葉の威力を。
 アユルはラシュリルから視線を外した。そうしないと、今にも理性が吹き飛んで抱きしめてしまいそうだった。

「……そ、そうか」
「ただ」
「ただ?」
「笑ってくださったら、もっと素敵で魅力的なのに……とは思い、ます」
「私にそのようなことを言うのはそなただけだ」

 ごめんなさいと、ラシュリルはうつむいた。
 向こうで、ハウエルがマリージェの手を握って歩いている。やさしくマリージェに語りかけるハウエルの声が聞こえてくるようだ。

「そなたがそばにいれば、私もいつかああなるのではないか?」
「えっ?」

 ラシュリルが、目を丸くして顔を上げる。アユルはラシュリルを見つめ、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「覚悟しておくとよい」
「ア、アユルさま……っ」

 遠くから、ハウエルが「宮殿へ戻りましょう」と叫ぶ。ラシュリルは、顔を真っ赤にしてハウエルに手を振って応えた。

「もうっ、わたしだけが青くなったり赤くなったり……」

 頬を膨らませるラシュリルを、アユルがくすくすと笑う。ころころと変わる表情は、見ていて飽きない。

「ラシュリル」
「はい」
「私のそばに来てくれないか?」

 わかりました、と笑顔でラシュリルが一歩アユルに近付く。

「そうではなくて、カデュラスに来てほしい」
「カデュラスに?」
「私の妃として」

 ラシュリルは、求婚プロポーズをされているのだと気付いて一歩後ろにさがる。てっきり近くに来いという意味だと思って近付いた。恥ずかしくて消えてしまいたい気分だ。
 アイデルが、こちらへ向かってくる。ラシュリルは、どう返事をしていいのかわからずにうつむいた。

「今すぐに返事をしなくてもよい。今夜、時間はあるか?」
「は、はい」
「では、離宮でゆっくり話そう」

 ラシュリルが、こくりとうなずく。
 ふと、アユルは何かの気配を感じて周りを見回した。気のせいだったか、と視線を戻すと同時に、背後から冷たい風が吹きぬける。
 気のせいではない。第六感が確かに危険をとらえている。アユルは、針葉樹の林の方へ体を向けた。早くコルダとラディエを呼ばなくては――。

「どうされたのですか?」
「動くな。狙われている」
「アユルさま?」

 アユルがラディエの名を叫ぼうと、息を大きく吸い込んだときだった。林から光線を描いて飛んできた矢が、どすっと鈍い音を立てて正面からアユルの左肩に突き刺さった。

「きゃぁっ!」

 ラシュリルが悲鳴を上げ、長身の体が雪の上に崩れる。
 しっかりと肉に食いこんだ矢じりが熱い。まるで直火にあぶられているようだ。視界がかすみ、急激に体の力を奪われる。言いようのない痛みに耐えながら、アユルは苦悶の表情を浮かべて必死に意識を保った。
 ラディエとコルダが、雪の上に横たわっているアユルに駆け寄る。

「陛下!!」
「……さ、い」

 アユルの呼吸は荒く、息が白く輪を描いて口元に幾重にも重なっている。そして、またたく間に顔から血の気が引いていく。青白い肌に浮かぶ玉汗に、ラディエの背筋が凍りついた。

「毒矢か!」

 カリノス宮殿は大変な騒ぎとなった。
 ハウエルは爪を噛みながら、部屋の中を行ったり来たりと落ち着かない。毒矢だったと報告を受けた。もちろん、心当たりはない。しかし、このことが直ちにカデュラスへ伝えられるのは明白だ。どのような形で詰め腹を切らされるのか、考えるだけで恐ろしくて震えが止まらない。万が一のことがあれば、国と共に滅ぶしか道はないだろう。万が一、カデュラス国王が死ぬようなことがあれば……。
 待てよ、とハウエルは暖炉の前で足を止める。

「世継ぎのいないカデュラス国王が死ねばどうなる。カデュラスは直系しか王になれないのだろう? 王がいなくなるじゃないか」

 何かおっしゃいましたか、とアイデルがハウエルのひとり言を聞き返す。

「だから、あの王が死ねばどうなると言ったんだ」
「な、な、ななな、何ということをおっしゃるのです、ハウエル様!」

 ラシュリルがナヤタを連れて離宮へ向かったのは、日が沈みかけたころだった。離宮の前に、帯刀したラディエが立っている。浅黒い肌と彫りの深い顔立ちのせいか、忿怒ふんぬの相をした仁王におうのようだ。

「何用ですか、王女殿」
「お薬と包帯をお持ちしました」
「必要ない。お引き取りを」
「あの……」
「何か」
「陛下は……、陛下はどのようなご様子ですか?」
「なぜ、王女殿にお教えしなくてはならないのです。あなたがたが、陛下のお命を狙っている真犯人かもしれないというのに」
「王女さまに向かって、何と無礼な!」

 ナヤタが一歩前に出て声をあらげる。ラシュリルはナヤタをなだめて、ラディエにかごをさし出した。

「侍女が失礼いたしました。どうぞ、こちらをお使いください」

 ラシュリルの表情にラディエは戸惑う。
 目は今にも泣き出してしまいそうなほど潤んで、かごを持つ手がかたかたと震えている。陛下が倒れる瞬間を目の当たりにしたせいで動揺しているのか。それとも、兄王に科せられる罰を恐れているのか。ラディエは王女の心情をおし量ってみたが、彼女の表情はそのどちらにも当てはまらない。
 疑問が浮かぶ。なぜ、王女はこんなにも陛下を心配しているのだろうか。ラディエは、震える手からかごを受け取った。

「陛下の侍従にお渡しましょう。王女殿は宮殿へお戻りを」
「……はい」

 肩を落としてしょんぼりとした王女と唇を噛んで睨んでくる侍女を一瞥いちべつして、ラディエは離宮へ入った。コルダが、アユルのかたわらで看病を続けている。

「陛下はお変わりないか」
「はい。まだ朦朧もうろうとしていらっしゃるようで」
「……そうか」

 ラディエは重いため息をつきながら、蒼白な顔で横たわるアユルを見た。そして、王女から預かったかごをコルダに渡した。

「こちらは?」
「王女が持って来た」
「今でございますか?」
「ああ」
「宰相様、王女様はどちらに」
「追い返した。キリスヤーナ国王から陛下の息の根を止めろと言われているかも知れないからな」

 例えそう命じられていたとしても、王女様がアユル様の命を狙うなどあり得ない。コルダは眉間にしわを寄せる。

「今から、陛下を射た矢を調べてくる。用心しておけ。ここへは誰も入れるな」
「承知いたしました」
「陛下に変わりあれば、すぐに知らせろ」

 コルダは、ラディエを見送ろうと離宮の玄関に出た。すると、庭にラシュリルとナヤタが立っていた。

「まだおられたのですか」

 ラディエが素っ気なくふたりに言った。コルダは、ちらりとラシュリルに目配せしてラディエに礼をとる。

「宰相様。王女様にお礼を申しあげたく存じます」
「好きにしろ。さっさと済ませて陛下のそばに戻れ」
「はい」
「中には入れるなよ」
「心得ております」

 ラディエが、ラシュリルを横目に睨みながら去って行く。コルダは、ラディエの姿が遠く見えなくなるのをじっと待った。ラディエが、何度かふり返って回廊へ消えていく。

「王女様、申し訳ございません。アユル様がこのようなことになって、宰相様は気が立っておられるのです」
「当然だわ。あなたにはいつも気を遣わせてしまって……。許してくださいね」
「そのように、わたくしなどに頭をさげないでくださいませ。ところで王女様、ナヤタ殿は……」
「ナヤタは、アユルさまとわたしのことを知っています」
「そうでございましたか。では」

 コルダは、回廊の方を確認して離宮のドアを開けた。離宮に入ろうとするラシュリルの服を、ナヤタが引っ張る。

「お願いナヤタ、少しだけ。お顔を見たらすぐに戻るから」
「わかりました。ここで待っております。誰かが来たら、すぐにお声をかけます」

 部屋に入ると、ラシュリルは一目散にベッドへ向かった。ドアに鍵を掛けて、あれからずっとこうして熱に苦しんでいるのだとコルダが言った。血の気のない顔色は熱があるという感じでなく、むしろ死の冷たさを感じさせる。

「アユルさま」

 声に反応するように、アユルの眉根が小さく動く。けれど、目が開くことはなく声も返って来ない。青白い顔に影がかかり、ぽたぽたと生暖かい雫がアユルの頬に落ちた。
 そばについていたい。目を開けたとき、よかったと微笑んであげたい。それができないのが、とても悲しくて心苦しい。

「コルダさん、一つお聞きしてもいいかしら」
「何でございましょう」
「アユルさまは、わたしとのことが知れたらわたしに害がおよぶとおっしゃっていました。今回のことと関係があるのでしょうか」
「それはないかと思います。王女様のことを知る者は限られていますので」
「そう……」
「アユル様に疑念がおありですか?」
「いいえ。アユルさまは、わたしに嘘をいう方ではないわ」
「アユル様は、心より王女様を想っておいでです。アユル様がそうおっしゃったのは、ただただ王女様の御身を案じてのこと。どうか、そのまま信じて差し上げてください」

 アユルの顔が苦痛にゆがむ。
 カデュラスで雨の中を会いに来てくれたときも、今日も、戸惑ってばかりで気持ちに応えられなかった。いつもいつも愛されていると感じているのに。
 ラシュリルは、ごしごしと手の甲で涙をぬぐって離宮を出た。すっかり日が暮れた庭に、ナヤタが待っていた。ポケットから手袋を取り出してナヤタに手渡す。

「ありがとうございます、ラシュリルさま」
「お礼を言うのはわたしの方だわ。わたしは今まで、あなたにも甘えてばかりだった。許してちょうだいね」
「……ラシュリルさま?」
「凍えてしまいそうね。早く宮殿に戻りましょう」