第一話 詞嬪


 季節の移ろいを告げる雨が、叩きつけるように激しく降っている。こんな夜は、いくらかましだと思える。寝台がきしむ音も淫靡いんびな息づかいも、雨音と雷鳴がかき消してくれるからだ。

 珠月しゅげつは眉根を寄せた。まるで、獣の交わりだった。苦痛を逃すような声を上げるたびに、激しく腰を打ちつけられる。とうとう四つん這いの体を支える腕から力が抜けて、珠月は尻を突き出すような格好で敷布に突っ伏してしまった。

 ――早く、終わって。

 目からあふれる涙が、なめらかな絹の敷布しきふに吸いこまれていく。
 向こうに、燭台しょくだいの明かりが揺れている。その先に見える金の装飾があしらわれた扉。陽王ようおうは、いつもあの扉から無表情で入ってくる。そして、物も言わずにこの身を抱くのだ。

 ああ、と珠月は視線を泳がせる。この雨が止めば、祖国が滅んだ日から季節がひと巡りする。その日は両親と夫の命日であり、陽王にとらわれた日でもある。

「何を考えている」

 低い声に、珠月ははっと目を見開いた。熱い吐息が耳をかすめて、そのまま陽王の体がのしかかる。鍛え抜かれた硬い体に押しつぶされて、珠月は苦しそうに顔をゆがめた。息ができない。肺が砕けてしまいそうなほど苦しい。

「死んだ夫の顔でも思い浮かべたか?」

 鼻で笑うように陽王が言った。珠月は陽王から逃れようと全力で身をひねる。すると陽王は、体を起こして珠月の腰を持ち上げると、ゆっくり抽送ちゅうそうを始めた。中にぎっちりとくわえられた男根で膣壁をえぐるように、腰を回して引いて打ちつける。

「いやっ……。も、うっ」
「忘れたのか? 私に逆らえば、祖国の民が死ぬぞ」

 ぎゅっと敷布を握りしめて、珠月は唇をかむ。
 ごめんなさい。ここへ来て、何度そう心の中で言っただろう。ごめんなさい、お父さま。ごめんなさい、お母さま。ごめんなさい、あなた。ごめんなさい、詞華しかの愛おしい民たち。

 詞華はゆったりと時が流れ、夜にはきれいな星が空に輝く平和な国だった。遥か彼方かなたの海へ向かって国を流れる大河のほとりには、民たちが代々永い時をかけて耕した豊穣な土地が広がり、たくさんの穀物が実っていた。

 美しい詞華は、昇陽しょうようの大軍に焼きつくされた。
 悲しみと悔しさが涙になってあふれる。王の娘でありながら国を守れなかった。それどころか、こうして敵の手に落ち、恥をさらして生きている。この身が男であったなら、あの日、国と運命を共にできたものを――。

「憎い……っ。あなたが、憎いっ!」

 珠月の叫びに応えるように、陽王の動きが激しくなる。奥を突き上げられ、陽王を咥えた蜜口からねっとりとした体液が卑猥ひわいな音を立てながらあふれる。心とは裏腹に、憎い男に反応する自分の体も憎い。なおも陽王は、さいなむように攻めてくる。必死にこらえても、口からは息に紛れて艶のある声が漏れてしまう。死んでしまいたい。

 珠月は舌を噛もうとした。しかし、陽王の指がそれを阻む。そして、後ろから貫かれたまま、上半身を羽交い締めにされた。

「……っく」
「舌を噛んだくらいで死ねるものか」
「……っは、離し、て……っ」
「自害すれば、軍に民の殲滅せんめつを命じる。ただちにな」

 怒気を含んだ陽王の声に、珠月は戦慄する。
 陽王は兄弟を皆殺しにし、父親から王位を簒奪さんだつしたと聞く。下手な真似をすれば、必ず残酷なことを平然と実行するだろう。

 諦めて枝垂しだれた珠月の背を押さえつけ、陽王は欲を満たす行為を続ける。珠月が悲鳴のような短い声をあげるのと同時に陽王が果てた。

 珠月は密かに胸をなでおろす。これまで、一度も共に朝を迎えたことはない。ことが終われば、陽王はすぐに部屋を出て行き、地獄のような時間が終わるはずだ。
 しかし、今宵は違った。珠月から離れた陽王が、そのままごろりと寝台に仰向けになったのだ。

 ――どういうこと。

 珠月はうつ伏せのまま身を小さくする。恐ろしくて動けない。じっと身構えていると、寝台が数度きしんだのち、寝息が聞こえ始めた。珠月は手探りで衣をつかんで体を起こすと、素早く着衣して陽王を見た。

 思えば、陽王の顔をこんなにまじまじと見るのは初めてかも知れない。とてもおだやかな顔だった。すっと通った鼻筋に彫りの深い精悍せいかんな顔立ち。年はわずかに年上の、二十歳を過ぎたころだろうか。頭の上で一つに丸められた黒髪が、ほつれて少し顔にかかってしまっている。

 珠月の目が、陽王の髪をとめている象牙のかんざしに向く。自害すら許されないのなら、陽王を殺してしまおう。あのかんざしを引き抜いて、のどに突き立ててやればいい。そうすれば、もう誰も苦しまない。

 ――だめ、そんなことできない。人をあやめるなんて、わたしには。

 珠月は、陽王を起こさないようにそっと寝台をおりた。そして、忍び足で扉の方へ向かった。稲妻の光ととどろく雷鳴。扉を開けると、軒下まで雨が打ちこんでいた。外で警護にあたっている衛兵の一人が、珠月に近付いてきた。

「いかがされましたか、詞嬪しひん様」

 詞嬪。それがここでの呼び名だ。前に宮女から聞いた話では、陽王には正妻である王后おうこうはおらず、他国から連れてこられた六人の妃がいるらしい。人質に妃としての位と宮を与えて徹底的に支配する。それが陽王のやり方なのだ。

「陽王がお休みになられたので、少し外の風に触れようと思って……」
「さようでございましたか。しかし、今宵はこの通りの豪雨。中へお戻りください」

 珠月はほうっとため息をつく。
 明夷宮めいいきゅうは、いつも衛兵に取り囲まれている。天候など関係ない。たとえ晴れていても、珠月が明夷宮を出ることはできない。幾度か抜け出そうと試みたが、すべて失敗に終わり、その度に衛兵の数が増やされた。

「少しだけ、ここで」

 珠月は軒下へ出て扉を閉めた。絶対に、一歩もここを動かないと約束すると、衛兵は持ち場へ戻って行った。真っ暗な空を、稲妻が縦横に走る。まるで昔話に出てくる聖獣のようだ。珠月はそこに佇んで空を眺めた。

 空は詞華に続いている。戦の傷跡が少しでも癒えていて欲しい。豊かな大地に人々の笑い声。静かな時の流れ。それらが少しでも詞華に帰ってきてくれるのなら、この身はどうなっても構わない。そして、いつか魂となって空を飛び、詞華に還りたい。珠月は袖で涙を拭った。

「憎い、か」

 蕾怜らいれいは、珠月が出ていった扉に向かってそうつぶやいた。覚悟はしていても、耐え難い。
 寝返りを打てば、敷布からふわりと柔らかな匂いがする。珠月の肌にぬられた香油の香り――。慈しみ、愛せたならどれほど幸せだろう。だが、それは未来永劫、叶わない夢だ。

 さて、と蕾怜は起き上がって夜着をまとった。珠月が戻ってこない。外に兵を配置している。明夷宮から出てはいないだろうが、胸が嫌にざわついてしまう。寝台を出て上衣うわぎを羽織る。蕾怜は袖を通しながら急いで外へ向かった。

「……きゃっ!」

 突然扉が開いて、珠月は声を上げた。振り返ると陽王が立っていた。逃亡を図ったとでも思われたのだろうか。陽王の顔が険しい。一言、わびておかなくては。珠月はその場に膝をついた。

那濫ならんを呼べ。紫永宮しえいきゅうに戻る」

 珠月の振る舞いを無視するように、陽王が衛兵に向かって言った。やはり陽王は怒っている。珠月は、濡れた石畳の上に正座をして顔を伏せた。

「勝手に出るな。次は許さぬ」
「……はい」
「立て」

 腕を引っ張られて立ち上がる。陽王が上衣を脱いで、珠月の肩にかけた。珠月は、寒さに奥歯をかちかちと鳴らしながら目を見開いた。今宵の陽王はいつもと様子が違う。どうして、と珠月が声を出す前に、陽王が中に入れと言った。

「宮女に着替えを用意させる。体を温めて早く休め」

 珠月が頷くと、陽王は明夷宮を出て行った。寒季に移るこの時期の雨は冷たい。夜着一枚で出て行くなんて……。珠月は陽王の上衣をぎゅっと握りしめた。