第五話 陽王


「罰をお受けいたします」

 那濫ならんは床にひれ伏した。寝台に横たわる詞嬪しひんの青白い顔。彼女の受ける衝撃がいかほどなのか、皆目見当がつかなかったわけではない。しかし、魔が差した。詞嬪に期待したのだ。真の罪人を知れば、陽王を受け入れてくれるのではないかと。

「理由を言え、那濫」

 陽王ようおうが、詞嬪の額を布でぬぐいながら抑揚のない声で言った。主人の声に含まれているのは怒りか失望か。那濫は顔を上げて陽王を見る。詞嬪に向けられる眼差し。大切に想っているのが、ひしひしと伝わってくる。
 やるせない。子を駒のように使う父親に弟を裏切る兄。運命は、いつも欲にまみれた邪悪な者に味方する。

「陽王が詞嬪様から憎まれ続けることに我慢ならなかったのです」
「詞嬪は夫と仲睦まじく暮らしていたそうだ。緋尚ひしょうに裏切られていたと知れば、こうなるばかりか死を選ぶかもしれぬ。だから、余はかたきとなる道を選んだのだぞ。お前は余の意を十分に理解していると思っていた」
「もちろんです。しかし、罪は罪を犯したものが償うべきでございましょう。陽王と詞嬪様が背負うべきではありません。司将軍ししょうぐんと緋尚のことがなければ、お二人は天に祝福された」
「詞嬪はどこへ行っていた?」

 言葉を遮るように話題を変えられて、那濫は戸惑った。陽王が、音を立てないように寝台を離れる。徐々に近付く陽王の気配に、那濫は床に額を擦りつけるように身を低くした。

「最初からあれを見せるために、詞嬪を紫永宮しえいきゅうから連れ出したのか?」
「い、いいえ。詞嬪様は、陽王の上衣うわぎを取りに明夷宮へ行かれました。その帰りに私が無理にお連れしたのです」

 那濫が上衣を差し出す。
 明夷宮めいいきゅうへ戻ると言ったのはこういうことだったのか。陽王は那濫から上衣を受け取って、そうかとつぶやいた。詞華へ旅立つ前夜だった。夜明けまで共に過ごそうとしたが、珠月しゅげつは氷水のような雨が打ち込む廊下へ出て行ってしまった。それどころか、そこに正座し、許しを乞うように頭をさげた。いたたまれない光景だった。

「さがれ。詞嬪が目覚めたら呼ぶ」

 那濫が立ち上がって礼をとり、部屋を出る。
 蕾怜らいれいは部屋を見回した。大国の王が住むにふさわしいまばゆい金の装飾。調度品も布も何もかも、高位の貴族たちですら手が出ない逸品ばかりだ。紫永宮は先王が建立した。先王は、権力に取り憑かれた野心家だった。

 寝台が小さくきしむ。
 蕾怜は、はっとして寝台に目を向けた。顔を横に向け、珠月がじっとこちらを見つめている。怒りも憎しみも悲しみもない、穏やかな眼差し。蕾怜は内心で焦った。先ほど、珠月のまぶたがぴくりと動いた気がした。話をそらしたが、聞かれたかもしれない。
 何か言わなくては。しかし、言葉が浮かんでこない。先に口を開いたのは珠月だった。

「ごめんなさい。実は、少し前から目が覚めていました」

 やはり。蕾怜は、動揺が顔に出ないよう表情を固くする。珠月の前では、陽王と蕾怜の切り替えがうまくできない。顔や仕草はそれらしく振る舞えても、陸に打ち上げられた魚のように息苦しさに悶えそうになる。
 上体を起こそうとする珠月に駆け寄り、蕾怜は手を差し伸べた。儒積じゅせきの前でされたように、嫌だと手を払われるだろうか。不安で心が震える。

「ありがとうございます」

 少しうつむいて、珠月が小さな声でそう言った。
 珠月が生きること。それが一番優先されるべきだと信じている。だから真相を隠し、陽王として珠月を支配した。明夷宮から一歩も出さず、犯すように抱いた。
 これは正しい行いか。自問自答を繰り返し、出てくる答えはいつも同じだった。これではいけない。いつか偽りの毎日から抜け出さなくては。珠月はきっと、死ぬよりつらい日々を過ごしている。
 しかし、それがわかっていながら嘘を続けた。珠月にとって、陽王こそが詞華を滅ぼした悪人だからだ。

「具合はどうだ」

 蕾怜が急いで白湯を渡す。珠月は、もう平気だと言って白湯を飲み干した。
 平気なわけがない。その証拠に、顔色はまだ本来のものではなく、茶器を持つ手が震えている。珠月の手から、そっと茶器を取る。それをそばの机に置き、蕾怜は寝台に腰をおろした。

「すまなかった。那濫にはあとで」
「いいえ、とがめないでください。あの方のお陰で、わたしは知ることができたのですから」

 沈黙が、二人の間に流れる。視線を合わせないように伏せた珠月の目に涙が浮かび、ぽたりぽたりと雫になって落下した。
 冷静に思い出してみると、昇陽の大軍が国境を越えたと知らせがきたときも、両親が命を絶たれた瞬間も、皆を逃がそうと必死に走ったときも、緋尚ひしょうの姿はなかった。あとから処刑されたと聞いて、敵軍に捕まっていたのだとばかり思っていた。でも彼は、司将軍の陣営で高みの見物をしていたのだ。詞華が落ちていく様子を、大声で笑いながら見ていたのだろう。

「詞華を滅ぼしたのは陽王ではない」
「珠月?」
「儒積の言ったことは本当だったのですね。無知にも程があるわ。あんな人を夫と慕い、今の今まで心の底から信じ切っていたのですから」

 珠月が口元をおさえ、声を殺して泣く。後悔の念に駆られているのか、自分を責めているのか。もしかしたら、緋尚とのよき日々を思い出しているのかも知れない。蕾怜は、珠月が落ち着くのを静かに待った。
 ひとしきり泣いたあと、珠月は袖で目をごしごしと擦った。目元が、真っ赤に腫れて痛々しい。蕾怜は、近くの引き出しを漁った。だが、かしずかれる生活に慣れて、手巾ひとつ探すのにも手間取ってしまう。

「陽王」

 蕾怜は手を止めて振り返る。物取りのような姿に呆れたのか、珠月は首をかしげて少し笑っていた。諦めて懐から自分の手巾を取り出して差し出すと、珠月は礼を言ってそれを目元に当てた。

「あの状況では、私が詞華を滅ぼしたと思うのが自然だろう。だから、そなたが自責する必要はない」

 精一杯の言葉だった。どんなことを言っても、あの日をなかったことにはできず、珠月の心の傷は癒せない。それに、愚か者たちの企みを見抜けなかったのは、昇陽の王たる自分の落ち度に他ならないのだ。

「陽王、お願いがあります」

 珠月が顔を上げ、覚悟を決めたような凛とした表情で言った。

「すべてをお話しください」
「しかし……。楽しい話ではないぞ。そなたにとっては、つらく悲しいことばかりだ」
「ええ。けれど、あなたは詞華を救おうとしてくれているのでしょう? それなのに、わたしが泣いてばかりいてはいけないわ」
「私が話すことを信じられるか?」
「信じます。あなたが垣間見せるおだやかさこそが、本来のあなたのような気がするから」

 いつかのように、珠月がぐいっと身を乗り出す。その真剣な眼差しに、蕾怜は諦めたように表情を緩めた。そして、私は先王の八番目の王子として生まれたのだと話し始めた。

 いくつもの国が覇権を争う世で、詞華の豊穣な土地は四方八方から狙われていた。昇陽の先王は、まだ四つの第八王子を同盟の証として詞華に送った。だが、同盟とは建前で、虎視眈々とうかがっていたのだ。王子の身に何かが起こり、詞華を真っ向から攻める口実を得る機会を。

「私は身分の低い母から生まれ、政治的な価値が全くない王子だった。何なら、詞華を攻める口実を得るために刺客を送って私を殺そうとしていたのかもな」
「そんな、我が子を道具のように……。昇陽の先王は、冷たい方だったのですね」
「先王は私に名すら与えてはくれなかった」
「でも、儒積はあなたを蕾怜と」
「詞華王が名付けてくださった。私に魂を吹き込み、やさしさや人の尊さを教えてくれたのは詞華王だ。あの方に出会わなければ、私は先王のやり方に逆らうことはしなかっただろう。もしかしたら、先王の傀儡かいらいとなって詞華を攻めていたかもしれぬ」

 そう、と珠月が真剣な顔で相槌あいづちをうつ。
 詞華から帰国してからの十数年間は地獄だった。先王は、興を楽しむかのように次々に他国を侵略し続けた。戦の前線で死んでいくのは民。無益な争いは避けるべきだと進言したが、名すら持たない王子に先王は耳を貸さなかった。
 先王の魔の手は、詞華にも及ぶ。詞華王とは密かに文のやりとりを続け、年に数回は会っていた。あるとき、詞華王が助けを求めてきた。昇陽が近隣の国と手を組み、詞華の制圧にかかったのだ。

「それで私は王位簒奪さんだつを決意した。先王が玉座にある限り犠牲は増え続ける。食い止めるにはそれしかなかった」
「では、噂は本当なのですか?」
「私が兄弟を皆殺しにして、先王を玉座から引きずりおろしたという噂か?」
「ええ」
「私は誰も殺してはいない。王太子を廃位し、先王に譲位を迫っただけだ。その噂は兄上が、司将軍が陽王への畏怖を植えつけるために流したものだ。廃位された王太子が自害して、噂の真実味が増してしまった」

 蕾怜は、自嘲するように笑って話をすすめる。
 王位簒奪の決心を告げると、王女をめとって民を守って欲しいと詞華王が言った。

「緋尚が言っていた、お父さまの愚かな夢ですね?」
「愚かではない。世継ぎとなる王子のいない詞華王にとって、王女の婿選びは至難だったはずだ。王位簒奪に失敗する可能性もあったのに、詞華王は私に詞華を託した。だから、信頼に応えると約束したのだ。必ず王になって乱世を治め、王女と共に詞華を守ると」
「でも、お父さまからそのような話はなかったわ」
「恐らく、司将軍の流した噂を耳にして、私への疑念が生じたのではないだろうか。私が残虐かつ卑劣な手段で王位を簒奪したのだと信じて緋尚の口車に乗ってしまったのだろう。緋尚の供述と照らし合わせると、辻褄つじつまが合う」

 蕾怜は、そばの机から本を手に取った。寝る前にいつも読む書物だ。ページをめくり、きれいにたたまれた紙を抜き取る。それを珠月に渡した。

「こ、これは……!」
「緋尚が詞華に婿入りして、ふた月ほど経ったころだ。詞華王の使いが私をたずねてきた。そのとき受け取った手紙だ」

 珠月が、懐かしい父親の手跡に目を見開く。手紙にはこう書かれていた。

『緋尚、司将軍と通ず』

 私は手紙の内容を理解できなかった、と蕾怜は続けた。
 辺境の警護に向かったはずの司将軍が、大軍を率いて詞華を目指していたなど露ほどにも頭をよぎらなかった。まず、軍が到着しないという辺境からの知らせが届き、数日後に司将軍が詞華との国境にいると知らせが来た。それで、急いで詞華に向かった。

「そして、あの日が」
「そうだ」
「お父さまは、どうして緋尚を信用したのでしょう」
「陽王に嫁げば王女もいずれ殺される。詞華を手に入れたら王女は用済みだと詞華王に言ったそうだ」
「それだけで?」
「私が詞華を攻めようと画策しているような、偽の軍令書まで用意していたようだ。それを見せて、自分なら詞華を守ってやれる。昇陽の司将軍とは昔からの顔なじみだからとそそのかしたらしい」
「あなたを信頼していたのでしょう? なのに、お父さまは……」
「詞華王は、暗愚な方ではない。それだけ国やそなたが大事だったのだろう」

 だが、と蕾怜は口をつぐんで記憶を手繰り寄せる。
 婚姻を口約束した数日後だった。詞華王に許しを得て、珠月に会うために詞華へ行った。
 歓声を上げながら、王宮の庭ではしゃぐたくさんの子どもたち。親が田畑に出る間、いつも面倒を見ているのだと詞華王が子どもの輪を指差す。
 珠月は束ねた柳髪をなびかせ、子どもたちに囲まれて輝くように笑っていた。見ているこちらまで顔がほころんだ。まるで、幸せを運んできてくれる常春の女神のように美しかった。

「陽王?」

 黙り込む蕾怜に、珠月が小首をかしげる。
 珠月の姿に気後れして、結局、会わずに昇陽へ戻ってしまった。もしもあのとき、珠月と言葉をかわして求婚していれば、緋尚が入り込む隙はなかったのではないか……。過去には、後悔しかない。

 蕾怜は珠月を抱き寄せた。
 もてあそびたかったわけではない。苦しめるためにそばに置くわけではない。涙を見る度に、心がちりじりに引き千切れてしまいそうになる。

「どうされたのです?」

 突然、絵に描いたように幸せな日常を奪われ、どんなに心を痛めただろう。この華奢な体に、言葉では言いつくせないほどの悲しみと絶望を詰めこんで、独り日々をやり過ごしている。

 珠月がもがくように身じろぐ。蕾怜は、もう少しだけと言って腕に力をこめた。
 何度も想像した。きらびやかな赤い花嫁衣装に身を包んで微笑む姿を。敵ではなく夫として会えていたなら、珠月は太陽のもとで笑っていられたに違いない。
 
「嫁いで来る日を心待ちにしていた。生涯そなただけを愛し守ると誓い、誰よりも幸せにしたかった」
「……あの、陽王」
「今も……。今も、そう思っている。珠月、すまなかった」